小谷元彦の、アート脳で読み解く映画【不定期連載】(1)不可能な造形―「オデュッセイア」における古典の変形

現代アーティスト 小谷元彦が、美術史と美術論から映画のビジュアルを論考する不定期連載企画!記念すべき初回はクリストファー・ノーラン監督『オデュッセイア』(大ヒット上映中)です。

 

映画『オデュッセイア』

【INTRODUCTION】トロイア戦争の終結後、イタケの王、オデュッセウスは、家族の待つ故郷へ帰還を目指す。しかし彼の前には、神々の介入、怪物、そして荒れ狂う海など容赦ない試練が立ちはだかる──。「必ず、帰る。」マット・デイモン演じるトロイア戦争の英雄オデュッセウスの10年に及ぶ壮大な故郷への帰還の旅、圧巻の映像美でお届けする愛と勇気の物語。かつてない映画体験―これは観る映画ではない。あなたがオデュッセウスと共に“帰るべき場所”を問う究極の旅だ。

 

 

Profile

小谷元彦(おだに・もとひこ)

1972年、京都府生まれ。東京藝術大学彫刻科教授。失われた知覚や身体の変容を幻影として捉え、覚醒と催眠、魔術と救済、現実と非現実、合理と非合理、人間と非人間など、両義的な中間領域を彫刻というメディウムを通して探求する。また、日本独自の彫刻史に強い関心を持ち、近現代彫刻史の新たな脱構築に向けた研究と実践を行っている。ヴェネチア・ビエンナーレ日本館(2003)、リヨン・ビエンナーレ(2000)、イスタンブール・ビエンナーレ(2001)など、国内外の展覧会に多数参加。個展「幽体の知覚」(森美術館、静岡県立美術館、高松市美術館、熊本市現代美術館、2009–2010)を開催。近年の主な展覧会に「Reborn-Art Festival 2021-22 利他と流動性」、「ゴジラ・THE・アート」(森アーツセンターギャラリー)がある。2012年、Asian Cultural Councilの助成を受けニューヨークに滞在。第30回平櫛田中賞(2011)、芸術選奨文部科学大臣新人賞(2012)受賞。

異様なスケール感、重厚で窒息しそうな映像体験

ハリウッド長編としてIMAX撮影が世界で初めて行われた『ダークナイト』以降、クリストファー・ノーランの映画は『インセプション』を除き、IMAXカメラで撮影され、現場主義の実写にこだわっている。今回は長編映画初の全編IMAXフィルムカメラ撮影ということで、画面の密度が高く、重厚で窒息しそうな体験を与えている。過去に『トロイ』の監督を務める予定だったノーランが満を持して(と言っていいだろう)取り組んだ『オデュッセイア』は、ノーランの過去作とは違い、古くから多くのクリエイターが取り組んできた古典的な題材であった。これをノーランは、物語を自分なりに翻訳し、これまでとは異なるビジュアルを描くことで、オデュッセウスが故郷への帰路で遭遇する受難をどのように描いたのだろうか。
 
 
筆者が興奮したのは、単眼の「キュクロプス」や甲冑姿の「人喰いレストリュゴネス」のスケールの異様さを表す画力である。おそらくIMAXで鑑賞した人の多くは、「デカい」と感じる画面から伝わる圧力を体感したのではないだろうか。広大な風景に小さな身体を写した引きのショットが多く、それとの対比もあるが、これは「キュクロプス」では約10.7メートルに及ぶ大型のパペットを使用し、「レストリュゴネス」との戦いでは身長2メートルほどの俳優と小柄なスタントマンを対峙させ、遠近感を利用して体格差を強調するように撮影した結果にほかならないだろう。それとは別に、神への畏怖を覚える存在感を劇中で与えることに成功したのは、「キュクロプス」のデザインによるところが大きいと考えている。
 
 

神への畏怖を覚える「キュクロプス」のデザイン造形

先述した通り、今回のギリシア神話という題材は古代から扱われてきており、確認できる範囲では紀元前あたりから彫刻や絵画として形を与えられている。当時は当然、現在のような映像表現はなく、その時代のメディアとして有効であっただろう「彫刻」という手段は、大衆へ強いインパクトを与えたに違いない。「キュクロプス」のポリュペーモス(Polyphemus)を表した彫刻はいくつか現存している。彫刻や絵画では、両目が膨れ上がり、眉間ないしは額の中央に大きな単眼を持つ怪物として表現されている。スペルロンガ国立考古学博物館には、紀元1世紀に海食洞窟につくられた『オデュッセイア』の物語を題材とする群像彫刻があり、現在は樹脂や石膏で再現されたものを見ることができる。今回の「キュクロプス」討伐シーンを再現したような迫力に満ちている(ちなみに、この彫刻には腫れぼったい両目の存在はない)。この場所には、映画の中で海の渦潮を避けて旋回した際に急襲する蛇状の「スキュラ」も、身体に大蛇が絡みつく「ラオコーン」像の作者によって残されている。ちなみに、ノーランによる「スキュラ」の構想ドローイングは非常に巧みなものであり、神話を映画で描いてきたハリーハウゼンのクリーチャー造形とのつながりも感じさせる。その後も画家のルドンがポリュペーモスの表現に取り組むなど、かなり古くから多くのアーティストが取り組み、さまざまな形で表現されてきた古典的題材なのである。
 
今回特筆すべきことは、古くから「絵画」や「彫刻」に表されてきた腫れぼったい目のかたちを残しつつも、左目から鼻にかけての骨格を反時計回りに捻るように変形させ、あとは皺っぽいテクスチャーの皮膚で違和感を与えるというシンプルな変化で、神への畏怖と同時に、ギリシア神話に通じる人間と神のあいだが表現されていることだ。また動きにおいても、通常の瞬きの印象を残しつつ、真横に瞬きをすることで奇妙な動作性を与えている。さらに、ゴヤの「黒い絵」の一作「我が子を喰らうサトゥルヌス」を参照したような身振りも含め、映画の「キュクロプス」は、私たちが知っている身体の動作でありながら、鑑賞者に不気味な印象を与えている。
 

アテネの首とカリアティード

また、略奪と征服を示すように、オデュッセウスが首を切り落とす神殿にある女神の彫刻は、現在もアテネのアクロポリスに遺跡として残るエレクテイオンの、女性像を柱として用いたカリアティードのビジュアルを参考にしたに違いないと思われる。ここでも、現代まで続くモニュメント特有の象徴性を破壊する姿を描きながら、古代の彫刻の形式を援用することで、神話の世界とこの映画の造形を結びつけている。

『オデュッセイア クリストファー・ノーランの映画制作現場』(玄光社)より

 
 

トロイの木馬のデザインの源泉

しかしながら、それらとは違うアプローチを感じるのが「トロイの木馬」である。木馬のデザインは、ノーランが『トロイ』の時期から、車輪付きの野暮ったいものではない構想を練り上げ、後ろ足二本で立つデザインを採用した。これは、幻の計画として終わったダ・ヴィンチの「スフォルツァ騎馬像」の初期構想と符合があう。「スフォルツァ騎馬像」は、ダ・ヴィンチが彫刻において巨大なスケールの実現に挑んだプロジェクトである。この騎馬像はルネサンス期に考えられ、高さ7メートルを超える巨大な騎馬像をブロンズで一体鋳造することを目指したが、当時は実現不可能であった。それより遥か昔の時代を舞台とする『オデュッセイア』において、馬が上半身を浮き上げ、後ろ足二本で支えるという構造的な難しさがある上に、内側に多くの兵士が隠れるという機能まで備えたものを木で再現することは、この時期には到底不可能だっただろう。しかしながら、ノーランは地面に接する尻尾を大きくし、木馬を支える構造としてのリアリティを与えている。この不可能なデザインへのリアリティの与え方にこそ、ノーランの『オデュッセイア』における一つの解釈と思考が集約されているのかもしれないと、私は考えている。

 

『オデュッセイア クリストファー・ノーランの映画制作現場』(玄光社)より

テキスト:小谷元彦(美術家・彫刻家)

映画『オデュッセイア』9月11日公開

監督・脚本:クリストファー・ノーラン

ホメロス「オデュッセイア」に基づく

製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン

エグゼクティブプロデューサー:トーマス・ヘイスリップ

撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ

プロダクションデザイン:ルース・デ・ヨンク

編集:ジェニファー・レイム

音楽:ルドウィグ・ゴランソン

VFXスーパーバイザー:アンドリュー・ジャクソン

特殊効果スーパーバイザー:スコット・R・フィッシャー

衣装デザイン:エレン・マイロニック

出演:マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイ、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、サマンサ・モートン、ゼンデイヤ、シャーリーズ・セロン

配給:ビターズ・エンド  ユニバーサル映画

 

 

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