新選組副隊長「土方歳三」の胸像が、
【1】雛型を作る
——後ろの画像は?
この画像は実際の写真(左)
雛型
【2】粘土原型
——使用した粘土は?
雛型はNSP粘土です。3つ使ったかどうか……NSP粘土は雛型
——中に木組みが入っているんですね。
そうです。そんな複雑な形じゃなくてもいいんですけど…。
雛形を拡大した写真をバックにしているんですが、目の位置とちょんまげの位置をきっちり合うようにするためには、木組みが可動していた方が合わせられるだろうなと思いまして。若干複雑になってますね。
——蝶番みたいに動く?
動きます。動かして決めたら、ネジで止めて固定します。木枠が少しでも動くと、水粘土はめちゃくちゃ重いので垂れてきちゃうんですよね。
——そのあとに、発泡スチロールで肉付けをしていく?
そうですね。ちょっとでも軽くしたかったので、
——造形にかかった時間は?
オンオフというかちょこちょこと。集中して制作したので、1ヵ月かかってないです。制作途中では水粘土の乾燥を防ぐためのビニールをかけて。常に霧吹きで表面を濡らして覆っていかないとカチカチになってしまうので、作業していない部分は常に覆っています。
——完成した原型は、タナベさんが運んだのですか?
僕が自分の車で粘土原型を富山まで持っていきました。めちゃめちゃ怖かったですね、木で檻みたいなのを作って、車の荷台にガッチリ固定して絶対倒れないようにして運びました。
粘土原型
——後ろの髪の毛の造形は?
実は、中にガッチリ針金で作った芯が入ってるんです。着脱式にしていたので必要ないときは外して、細かい部分を作業するときは別のテーブルで作業していました。
粘土原型
【3】石膏型から樹脂原型を作る
石膏型
——「ブロンズ鋳造」について。
石膏で型取ったあと、FRPに置き換えた樹脂原型。
【4】砂型で型を取る
——何で型取っている?
「砂型」っていうものでかたどっています。要は砂が元なんですけど脆いコンクリートみたいなものと考えいただけたら…。厳密にいうと炭酸ガスを吹き付けると固まるっていう特殊な砂なんです。
砂型
——FRPの色が黒いんですね!
「砂型」は鋳物砂を平たくしてガスを入れると固まるので「
——バラバラになった砂型をどうやってくっつけるんですか?
針金が中に入っているんですよ。くっつけて入ってないのもあるのかな?お互いが付け合うからそれを大きな型枠ではめていたり、
——ズレないんですね!
砂型
——「中子」はどうやって作る?
①雌型の砂型の内側に7mmの粘土を貼る。
②その内側に砂型と同様の砂を詰める(中子)。
③②と同時に中子を雌型内に固定するための鉄棒などを仕込む。
④中子を固める。
⑤固めて外したら、7mm粘土の部分を外す。
⑥雌型と雄型の間に7mmの空洞ができる。ここへブロンズを流す。
【5】銅を流し込む(鋳造)
——どこから流すんですか?
頭を下にした状態で脇の方から流していました。
ブロンズ(青銅、厳密にはスズなどを混ぜた合金)は大体1200~1400°で溶かしてます。大きさや気候によって微妙に変えているそうですが、ガスバーナーの火力で溶かして、金属でできたバケツの釜から、水みたいに砂型へ流し込みます。バケツみたいな釜をクレーンで吊っているんですけど、2人の職人さんが両方で抑えて調整しながら高温の金属を入れるんです。この写真は高いところから撮ってるんですけど、この下に1メーターくらいの釜があって、ちょっと高いところに立っているんですよね。
めちゃめちゃ危険ですよ。ちょっとでも着いたら完全に皮膚が溶けますよね。これが毎回大迫力なので「これは見た方がいい!」って僕が激推しして委員会全員で見学しに行きました。これはもっと知られてもいいんじゃないかって思うんですけど(笑)。いかに大変な作業なのか分かっていただけたらいいなって思います。
——どれくらい時間を置く?
胸像サイズだと丸一日冷めるまで待ちます。熱で溶かした金属なので冷めると同時に若干縮むんで、次の朝に叩き割りました。
【6】脱型
型が一個ずつパズルみたいになっているので、
【7】着色
——研磨したあと、渋い色になる?
色んな着色技法があるんですが、本作だとお侍さんなので渋く着色
着色
——腐食液みたいなものを使用された?
そうです、硫黄系の酸性の薬品、硫化水素だったかな?
【8】設置〜お披露目
——像は置いているだけ?
接着してボルトで固定してます。石の台座にボルトが両方はまっているというか、接着剤と一緒にボルトにはめてる感じなので通常押しても人間の力では絶対にまず取れません。
——台座の石は?
御影石を使用しています。近藤勇の台座はひと塊りの岩で作ってあるんですが、土方恵さんの希望もあり、とにかく近藤さんより豪華にしてはダメっていうのがありました。歳三さんは、近藤勇さんを上げるっていう役目と見劣りしないようにするために、御影石の板を四面から張り合わせて作ってます。「割肌」という処理で荒々く削った表面にしました。
——「土方歳三之像」という文字は?
壬生寺の貫主、松浦俊昭さんが書かれて、それをもとに業者さんが削りました。委員会の人とお話しして「住職に書いてもらおうや!」ってなりまして。像自体も半永久的にあるわけですから、この文字を当時の住職さんが書いたっていうことで記念にもなるということでそうなりました。
——タナベさんのお名前は?
裏に入ってます。
Profile
タナベシン
伊勢志摩出身。物心ついたときから工作好きな少年だった。ガンプラは小学2年からずっと作っていて、プラモが手元にないときはその辺にある素材でなにかしらを作っていた。
小学6年生のときホラー映画にハマり(80年代ホラーブーム)、そこから急激にクリーチャーや特殊メイクに興味を持つようになる。粘土ではなく、針金でエイリアンを作ったこともある。胸から腹までぱっくり割れて心臓や飛び出した腸が仕込んである人体解剖模型みたいなのを粘土で作り、母親を心配させたことも。また、中学生のころに粘土で『バオー来訪者』のバオーの胸像も作った。
大学の専攻は工業デザイン。当時は模型や造形は趣味程度で、原型師になるなんて全く思っていなかった。
特殊メイクに異様に興味があったので、専攻に関係なくハリウッドへの思いが段々と強くなり、卒業後まもなくして渡米(ロサンゼルスへ語学留学)。あても全然なかったが、コネクション作りも兼ねていろいろ出かけ知り合いを沢山作っていく中、フィギュアメーカーで働いている友人が出来て、ちょうどその会社が社内原型師を探しているということで、就労ビザを得るため間髪入れずに面接に行く。
フィギュア制作はあまり人生プランに入っていなかったが、運よく社長に気にいられ即採用、めでたくビザもゲット。
会社でフィギュア原型を制作していくうち、フィギュアというものにのめり込んでいったのでその流れで原型師に。
2007年に帰国。アメリカ生活で強烈に魚に飢えていたので実家の漁師町は天国すぎた。さらに釣りにどっぷりハマり、本当は一時帰国で1年後にまたロスに戻る予定だったのを蹴って、志摩市に住むことを決意。都市部へのアクセスは非常に悪いが、大抵のものはネットで揃うのであまり不便さは感じていない。一番の泣き所は映画館が遠いこと…。
X(旧Twitter):@tanabeshin